2024-03-25

最近◯◯が増えた

 「最近◯◯が増えた」と思っても、大抵は根拠がない。というのは当たり前のことだと思ってたけど、どうもそうではないらしい。平気で「最近は◯◯が増えた」という人がいてびっくりする。

 「最近は◯◯が増えた」という言説は、

 ①客観的統計データを元にしている場合

 ②本人の経験を客観的に資料化して元にしている場合

 ③単なる本人の主観を元にしている場合

 の3パターンがあると思う。ヤフコメとかで「最近は◯◯が増えた」と言ってる人の大多数は、③だろう。

 その本人の主観は、(1)自分の限られた経験をベースにしている、(2)たまたまそういった事例に触れることが最近多かった、(3)報道で目にする機会が最近多かった、(4)過去を美化したりして都合の悪い事象を無視している、などといった要因によって形成されていると思う。

 たとえば、飲酒運転事故が多く報道されると、飲酒運転事故が増えているように感じるかもしれないが、ただ単に「これはバズる」と思ってメディアが報道しているだけで、報道される前からたくさん起きていた事象かもしれない。

 あと、「昔と違って最近はマナーが悪い」みたいに言う人が多いけど、戦前なんて、上野公園で花見をして、食べ終わった蜜柑の皮をその辺に放り投げたり、汽車に乗るときに窓を開けて外から荷物を放り込んで席取りをしていたという。どう考えても今の方がマナーが良い。というように、都合の悪い事実を意図的に無視しているのか知らないのか分からないけど、非常に偏ったサンプリングをしている可能性がある。

 要するに、「最近◯◯が増えた」は、適切なサンプリングから導き出されたものかどうかをちゃんと検証すべきであるが、そういう思考をする人が少ないのだなと感じる。「いや仕事ではちゃんとやるけど、SNSの書き込みだからそこまでやってない」というのかもしれないが、こういうのって日常の思考の癖だと思うから、そういう思考が身についている人はプライベートでも自ずとそういう思考はするものだと思う。もちろん、仕事のときほど厳格にはやらないにしてもね。迂闊に「最近◯◯が増えた」なんてことは言わないだろう。

 

きっと◯◯だろうと思う

 これもよく見かけるが、探偵団がどういうケースだったのかを推測するパターン。たとえば、轢き逃げ事故が起きたとして、「きっと飲酒運転をして発覚を恐れて轢き逃げしたのだと思う」みたいな。

 もちろん、可能性としてはありうる。けれども、そうでない可能性だって十分ある。現実に起こりうる可能性が他にもいくつもあるのに、1つのケースに決めつけて、おまけにその決めつけの上であれこれ議論をし始める人をヤフコメなんかだとよく見かける。

 居酒屋談義で「飲酒運転じゃね?」「だよねー」みたいに会話するぶんには構わないと思うけど、SNSの言説で勝手に決めつけて、それを前提にあれこれ議論をするというのは極めて不健全だろうと思う。「いや、他の可能性もあるかもしれない」とか躊躇しないんだろうか、と思ってしまう。なんで自分の推測が正しいと思うんだろう、その自信はどこから生まれてくるんだろう、と。

 そういう意味での謙虚さは重要だと思う。なにかあったときに人に遠慮するだとかそういう謙虚さではなく、「自分の考えは間違っているかもしれない」という意味での謙虚さ。「自分の考えは正しい」という確信は、証拠と論理によって導かれるべきものであって、自分の経験則なんかで抱いてはいけない。「俺はこういう人を何度も見てきた」という経験則で語っているのかもしれないけど、経験則はあくまで経験則だ。1つの有力な可能性を提示するものであるから、もちろん有益ではあるけど、経験則が当てはまらないケースなんていくらでもある。

 この手の人たちって、たぶん考えてないんだろうなって思う。本人は考えているつもりなのかもしれないけど、事象について「これはこうだ」と決めつけて断罪することしか考えてないんだろうと思う。私はむしろ、「どうしてこうなったんだろう。もしかしたらこうかな。でも違う可能性もあるかもしれない。」と考える方が好きな人間だ。ヤフコメの悪口ばかり書いているが、時々有識者が「こういうケースもある」みたいなことを書いたりするので、「あーなるほどね、そういうこともあるのかー」と参考になることもある。

 そういった具合に、私は色んなことを知るのが楽しいと思うけど、逆に思考の幅を狭めて、「これはこういうケースに違いない」と判断してそれで終えてしまう人が多いのかもしれない。