情緒的な表現

 いなば食品の入社辞退がニュースになっている(いなば食品の入社辞退者が明かした「お詫びの品」はツナ缶 会社は「ボロ家ハラスメント」報道に反論 “給料3万減った”は「事実誤認」 (NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース)。事実関係が分からないのtなんともいえないが、ヤフコメでは「働く人を大事にしてほしい」とか「誠意ある対応」とか、どうも人情っぽいというか情緒的な表現で〆ようとするのが好きではない。別にこのニュースに限らないけど、そういう表現で議論を進めようとする人が多すぎないか。

 そもそも「誠意ある対応」ってなんか恐喝みたいな雰囲気があるから好きではないし、それを措くとしても、情緒的であることを求めるのは過度な要求だし、そもそも抽象的な概念なので人によって理解が異なりうる。大事なのは、誠意があるか、大事にするかではない。適切な水準で提供できているかだ。

 件の入社辞退の話であれば、単に事前の約束を遵守するかどうかの問題だけだろう。誠意があろうがなかろうが、大事にしようがしまいが、単に約束を守ればいいだけの話だ。そして、標準的な水準の寮を用意すればいいだけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 ただそれだけの話を、「働く人を大事にする」とか「誠意ある対応を」とか大仰な話にする必要はないだろう。

 

ヨーグルト

 ヨーグルトを買いに行ったら、明治ブルガリアヨーグルトの「ホームメイドストーリー」なるものが売っていた。今日限定セールだったのは普通のやつだったので、取り敢えず今日は普通のを買ったのだけど、これはなんなのだろうと思い帰宅して調べてみた。 

www.meiji.co.jp どうやら50周年ということで売り出された商品らしい。いまヨーグルトが2つ備蓄してあるので、それを食べきったら買ってみよう。

 

 ヨーグルトは今年に入ったくらいから食べ始めるようになった。シンプルに健康のため。最初は飲むヨーグルトにしていたのだが、400gのものしかなく、3日程度で飲みきってしまって頻繁に買う必要があり煩瑣なので、普通のヨーグルトに切り替えた。

 「昔は900gくらいのあったよな?」と思ったら、少し前に終売になったらしい。普通に需要がある気もするけど、要するに売れなくなっていったんだろう。

 

野球のブーイング

 最近、「読売くたばれ」みたいなのはやめようという空気になってきているらしい。今でこそ球場は雰囲気が良いが、私が子供の頃は「1人で球場に行ってはいけない」と親に言われたものだ。実際、品のない野次が飛び交う場であり、野球場というのはそういうところだった。

 最近はカープ女子やら何やらが流行り始めてからは、だいぶ雰囲気が良い感じになってきた。

 個人的には、雰囲気の悪い野球場にも慣れていたので、「くたばれ読売」とか聞いたところでなんとも思わないのだが、それを是としないのも時代の流れなのだろう。それはそれで別にいい。

 

 ただ、山川穂高に対するブーイングはなぜか許容されているらしい。曰く、非難されても仕方ないことをやっているからだという。そして、それを公で説明しないまま移籍したから、ということらしい。他にも、ファンにはブーイングする権利があるだとか、ブーイングがある方が盛り上がるだとか、それ単体で切り取ったら異常としかいいようのない主張がなされている。

 無茶苦茶な根拠ばかり主張されているが、要するに「こいつは叩いても構わない」ということなのだろう。それを正当化するための理屈を、思いつくのを取り敢えず適当に言っている(=主張の整合性などを考えていない思いつきの理屈)のだろう。

 

 なので、「くたばれ読売」が許されず、山川穂高へのブーイングが許されるのは、端的に「叩いてもいいかどうか」という点で相違があるに過ぎない。「叩くのは品が悪い」という方向に行かず、「叩けるなら叩いてOK」という思考が浮き彫りになるあたり、気持ち悪い。

 別にこの件に限らないけど、要するに「こいつは叩いて構わない」と判断されたら、みんなで袋叩きにする。人を正論(のようなもの)で叩くというのは気持ちの良い行為だ。誹謗中傷がなくならないというのも、人を叩くゲームは中毒性が高いからだろう。

 2chのように、むしろ悪意の塊で人を叩いてるなら、自覚してるだけマシといえる。人を叩く快感に酔いしれてることさえ自覚せず、正義のための行動だと本気で錯覚してるのは、本当に害悪だと思う。

 昔のネットの悪ノリにも良かった側面はあって、自分の行動が悪いと自覚していることだ。最近は、自分の行動が悪いと自覚してないだけ、タチが悪い。