タイパ批判
最近の若者は、タイパ重視らしい。それに対して、世の中のおじさんおばさん達は憤っているらしい。
もはや中年の私だけれども、別にタイパ重視でいいじゃんって思う。おじさんおばさんが何にキレてるのか分からないけど、「タイパでは省かれがちな重要なものがある」と言いたいのだろうか。あるいは、なんか情緒や思慮深さが養われないらしい。
個人的には、情緒や思慮深さがないのであれば、別にその若者を見捨てればいいだけの話だし、若者に対して「情緒や思慮深さも大事だぞ。タイパだけではいかんぞ」とか説教する必要もないと思うんだけど。説教したいんだったら、タイパではなぜ情緒や思慮深さが身につかないのかを、ちゃんと言語化して説教すべきだと思う。
我々老害世代ってそれが足りないんだよ。若者に対して「それじゃいかん」みたいなこと言い出すんだけど、なんか情緒やら思慮深さやら、よくわからない曖昧模糊とした概念を持ち出してきて、その必要性も説明しないし、どうやったらそれが身につくのかも説明しない。だから、若者に伝わらなくて相手にされない。
私自身は、別に若者に伝える必要はないと思うし、勝手にすればいいじゃんって思うんだけど、若者をどうにかしたいと思うのであれば、ちゃんともっと説得的な説明をすべきだと思う。説明もしないで、なんか自分の都合の論理を振りかざしたら、そら伝わるものも伝わらないって。
私自身は、タイパやらコスパを重視するのは良いことだと思う。私の世代は、上から「これをやれ」と言われ、「なんでですか?」と聞くと、「いちいちうるさい」「黙ってやれ」と言われた。まあ、そのやり方にも一理はあると思うのだけどね。取り敢えずやってみることで分かることってあるから。でも、なんで必要なのかを説明できない時点でダメだと思う。
それに、タイパやコスパを重視することで、「これやる必要ある?」「これはもっと改善できるのでは」と進化するきっかけにもなる。たしかに、間違って必要なものを切り捨てる危険はある。でも、それも大事な経験。「あ、これは削っちゃダメなんだ」と学ぶことも大事。
我々老害世代は、時間が無限にあるかのような前提で「これにも意味がある」「決して無駄にはならない」みたいなこと言い出すけど、時間は有限。ほとんど無意味なことをやらされて、「無駄ではなかったはずだ」みたいなこと言われるとキレそうになる。いや収穫がゼロではないというだけの話で、もっと有意義なこといくらでもあっただろ、機会損失ってことば知ってる?と問いたくなる。
「タイパでは省かれる重要な価値がある」のであれば、そもそもタイパの計算の中に入れるべきものが入ってないっていう話なのよ。
バブルも弾けて何十年と経ってるのに、護送船団方式じゃないけど、今までと同じやり方に固執するということほど愚かなことはない。大体、憲法は時代に合わせて柔軟に変えろとか言う割に、自分の仕事のやり方とかライフスタイルは頑なに変えないって、言ってることとやってることが無茶苦茶じゃないか。
考え方とかライフスタイル、仕事のやり方、そんなものは変えていかないとダメだ。常に新しいものに挑戦して変化し続けることが大事。現状維持は衰退なのである。
学びと育ち
これも色々見ていて感じる違和感なのだけども。
「育てる」という誤った思考を持っている人が多いように感じる。そのためにはどうすればいいかを必死に考えている人がいるけど、根本的に話は逆なのである。
人は育てるものではない。人は育つのだ。
「育てる」などという、「自分の思い通りに人を操作する」かのような思考は嫌いだし、結局それは自分の劣化コピーを作り上げるだけではないかと思う。あるいは、自分の劣等感を背景に、勝手な理想像へと押し込むだけではないか。そんな風にして人を育てたところで、果たして優秀な人間になるのか疑問だし、本人の満足度も高くはならないのではないか。いわば、ミスマッチで一流企業に就職するようなものではないかと思う。
人は育てるのではない。育つものだ。人は勝手に学び育っていく。大事なのは、その環境を整えることと、正しい成功体験を積ませること。というより、誤った成功体験を積ませないこと。そうすれば、自ずと勝手に育っていく。本人が自ら考え得た経験の方が、ずっと良く成長していく。そして、我々の想定外の育ち方をすることもあるだろう。でも、それは既存の殻を破り、新しい次元への飛躍でもある。教える側が自分の価値観に固執したら、縮小再生産でしかない。
だから、そのための環境を整えることが大事。環境を整えるというのは、物的に優れた環境を整えるというのもあるが、むしろ大事なのは人的環境だ。競争と言ってもいい。優れた仲間を揃え切磋琢磨すること。これが大事だ。「優れた仲間」といっても、別に「全員が東大文1に受かるような人間」である必要はない。芸術で優れているとか、そういうのでもいい。むしろ、多方面で優れた人がたくさんいる方が良い。その中で、刺激を受けつつ、切磋琢磨していけば、自ずと育っていくだろう。
「誤った成功体験」をさせないことも大事。たとえば、スポーツであれば、極端な食事制限とか過度な練習で、優勝してしまうことだ。これは本当に危険だ。短期的には効果があるかもしれない。けれども、そんなことを続けるのは不可能だ。実際にそれで潰れたアスリートなんて山ほどいる。けれども、それで全国大会優勝なんかしてしまったら、「こうしなければ勝てない」となってしまう。
逆に、「良い成功体験」を積ませることも大事だ。たとえば、自分の苦手分野を必死に克服して、良い結果を収めた場合。それは、苦手分野の克服を頑張ったことを褒めるべきだ。そうすることで、「苦手分野の克服って大事なんだ」と学習し、今後もそういう行動をするようになるだろう。